
![]()
氏名:谷田英輔 |
|
厚生労働省指定 臨床研修指導医
院長略歴1984年 関西学院大学法学部法律学科卒業 1990年 朝日大学歯学部卒業(旧岐阜歯科大学) 1996年 タニダ歯科医院開設 2000年 第1次タニダ歯科医院増改築 2002年 医療法人社団タニダ歯科医院へ法人化 2007年 第2次医療法人社団タニダ歯科医院増改築 2013年 第3次医療法人社団タニダ歯科医院増改築
(所属学会・終了研修会)
他多数
(校医・その他)
|
歯科医師になるまで、そして阪神淡路大震災みなさん、当院のホームページに来ていただいてありがとうございます。院長の谷田です。私の経歴を簡単に紹介させていただきます。わたしは兵庫県の芦屋で生をうけました。中学、高校を一貫教育で学んだ後、家が代々法律事務所であったため、大学は法学部を選択しました。法学部時代は家業を継ぐべく、昼は大学に通いながら、夜は国家試験用の法律学校へ通うという生活送っていました。大学卒業時には、このまま家業を継ぐことを周囲も希望していたのですが、私にはもうひとつ、どうしてもあきらめられない事がありました。それは医療の道に進むという事でした。それには理由があります。私は父親を2才の頃に病で亡くしています。そのことがあって小さい頃より、病気で困っている人を助けて喜んでもらいたいという思いが強くありました。悩んだ末、周囲を説得して自分の夢を実現する為、歯科医師の道を選びました。歯科医師になってからは、大阪と芦屋の大型診療所でひたすら臨床医として腕をみがくことに専念しました。そして6年間の勤務医時代を経て、芦屋の実家で開業することにしました。さてここからが私の激動の人生の始まりです。開業を決めた私は勤務先の医院を退職し、開業の準備を進めていました。そしていよいよ工事の初日という日が1995年1月17日。あの阪神淡路大震災の日だったのです。私の実家はちょうど芦屋の中央付近。あの阪神高速道路が倒壊した場所から北東へおよそ2kmの所。震災の被害が最も大きかったところです。付近の家屋はほとんど全壊。亡くなられた方も多数おられました。自宅は全壊しましたが、妻と2人命だけは助かりました。その後、私の住んでいた付近の一帯が、家屋の倒壊率が80%を超えていたという事で、市の区画整理事業に指定されたのです。区画整理事業というのは、その付近では事業が終わるまで、仮の建物しか建てられないというものです。また事業が終了するのに何年かかるかわからないという状況でした。もちろん付近には住民の方もまったくいない状況だったので、開業などは到底無理だったのです.。家が全壊していたので、私と妻は小学校の体育館で生活しながら連日新しい開業場所を探す毎日でした。当時は収入も無く、市から配給物資を受けながらの生活でした。そういう生活がしばらく続いていたときに、西宮名塩ニュータウンの医療ゾーンで歯科医院の募集がありました。そしてこれに応募し、多数の応募者の中から選考の結果選ばれ、平成8年10月に西宮名塩ニュータウンで開業することとなりました。
2.西宮名塩ニュータウンでの開業
それから今年(平成19年)で11年。タニダ歯科医院はこの地域の皆様に支えられてここまでこれました。ただただ感謝あるのみです。これからも地域に根差したホームドクターになるべく一層の努力を重ねてまいりますのでよろしくお願いします。
3.治療に対する私の想いホームページのトップページでも書いていますが、タニダ歯科医院の理念は、”愛と感動と笑顔があふれる歯科医院”です。これが私の目指す歯科医院であり、スタッフやドクターもこの理念のもとに診療にあたっています。この理念を実行するのは簡単なことではありません。しかしかなわぬ夢でも無いと思っています。最新の医療設備や医療技術はもちろん大切です。しかしそれだけでは人の心は、感動させられません。人を治療するのは人なのです。私たち診療する側の心が相手に伝わってこそ、笑顔や感動が生まれるものと思っています。
4.私が治療において日頃心がけている事
|
※診療の合間を見て、ボランティアで行っていますので、恐れ入りますが、近畿地方以外の方のご相談はご遠慮下さい。